「蜻蛉との対話」

 僕は、母さんの実家がある町にふらりと立ち寄った。まだお爺ちゃんとお婆ちゃんは健在で、暇な時は遊びに来てと言われていたんだけど、僕はどうもあのうちが苦手だった。隣りでパーマ屋をしている叔母さんの所は、まだ気軽には行ける。けど、今の僕はその叔母さんのうちにも立ち寄りたくない気分だった。
 僕はその二つの家の前を素通りし、ぐるっと回るように続く道を辿って、裏手にある大きなお寺に向かった。
 お寺に続く道は階段のようになっていて、別に急な勾配ではないんだけど、こうも長々と続いているとさすがにくたびれる。左手にはこの町が一望できて、そこには夕焼け色に染まった田舎町がたたずんでいる。頭の上では、蜩が何百匹もいるのではないかと思うくらい大合唱していて、まるで『早くかえんなよ』と急かされてる気がして落ち着かない。
 僕はなんだか心細くなってきた。辺りには誰もいないし、蜩の声以外にはこれといった物音も聞こえない。それが逆に孤独感を上手く演出していて、居たたまれなくなる。
 僕はそんな気持ちを振り払うように、また階段を登り始める。時折足を止めてフーっと溜息をついてはまた登る。そんな事を幾度か繰り返すていると、足元で何かが通り過ぎるのを目にした。それは、右手にある低い石垣を登っていく。僕は石垣に近寄って、目を凝らした。石垣の石の間には、小さな穴があちこちに開いていて、そこを出たり入ったりしている。僕は思い出した。
 それは『カナヘビ』だった。何年か前、やはりこの場所でいとこと一緒にこの階段を登っている最中に、この『カナヘビ』を見つけたのだ・・・

 僕たちはその動きがとても面白くて、ふたりで必死になって捕まえた。一匹目は尻尾が取れてしまって逃げられてしまった。僕の指はその『カナヘビ』の尻尾を掴んでいて、そのくねくねと動く尻尾を僕たちは見つめた。
 僕もいとこも、トカゲの尻尾が取れたのを見るのは初めてで、ビックリして思わず顔を見合わせた。そしてすぐに笑いが起った。僕は「ほらぁ」とか言って、隣りにいるいとこにその尻尾を投げる。いとこは「やめろぉ」と言って笑いながら逃げた。しかし、それもほんの一時の出来事で、何の打ち合わせをするでもなく、僕たちは辺りをきょろきょろとし始める。もうその時点で、最初の目的はどこかに吹っ飛んでいて、今は『カナヘビ』しか頭にない。
 「あっいたぁ!」今度はいとこが見つけた。さっきは、石垣の間にいたので捕まえにくかったが、今度は地面の上にいる。「これはチャンスだ」僕たちは心の中で叫んだ。二人の顔はにんまりとしていた。さっきは僕が捕まえに行ったので、今度はいとこの番だった。いとこは静かに近づいてしゃがみこみ、そ〜っと手を伸ばす。手の先はもちろん二本指の態勢だ。親指と人差し指をピンセットのようにして構えている。その手がそろそろと『カナヘビ』に近づく。僕は2歩後ろに下がり、固唾を飲んで見守った。あと20センチ・・10センチ・・5センチ・・「つかまえたぁ!」という声と共に、いとこの手には『カナヘビ』がくねくねとそこにいた。
 そんないとこは、自慢気にニヤニヤと僕を見て笑う。ちなみにいとこは女の子だ。僕は捕獲成功に一時喜びはしたものの、自分が捕獲できなかったのが非常に悔しかった。いとこが捕まえた。だからそれはいとこのものである。僕のものではない。それはとても自然なことで、この頃はその『自然の法則』がゼッタイだった。
 いとこはそのまま、もと来た道を引き返そうとした。「どこに行くの!」僕はとっさにそう言った。「きまってっぺぇ。これ見せに行くんだべしたぁ!」そう言ったいとこの顔は、紛れもなく『小悪魔』の顔だった。僕はいやな予感がした。いとこはいたずら好きだ。それも上手く行けば、ただ面白かったで済ませられるのだが、よく失敗した上に、思いっきり怒られる。僕はそれがいやで、あまり『共犯者』になりたくなかった。
 しかし、それは通じなかった。軍配の様に存在するあの『カナヘビ』は、今いとこの手にある。僕はそれに従うしかないのだ。
 いとこはそんな僕にお構いなしに走り出す。僕も急いで走り出すが追いつかない。聞いた話では、いとこは学校でも1・2位を争う駿足の持ち主で、僕といえば、学校でも有名な鈍足だ。追いつくはずもない。けど必死で走った。いとこは真っ直ぐパーマ屋の方へ向かう。僕はそれを遠くから確認して更に加速する・・気持ちだけ。
 僕はやっとの思いでパーマ屋の前へたどり着く。いとこはパーマ屋の入り口で僕を待っていて、静かに僕を手招きする。もちろん、その顔は『小悪魔』である。僕はいとこと一緒に店の中に入る。いとこは静かにドアを開けたが、そのドアには来客用のベルがついていて、からから〜んとなった。店の中にはお客さんが3人いて、みんな僕たちを一瞬見たが、一人で働いていた叔母さんだけは、あくせくとしていて振り向きもしない。まぁ、いとこからすればと〜っても都合がいいわけだが・・。
 一瞬の沈黙の後、叔母さんは僕たちをチラリと見て「今、忙しいから隣りに行ってて!」と早口で言った。いとこは僕の顔を見てニヤッと笑うと、そんな叔母さんの言ったことなど無視して、叔母さんの背後に立った。
 叔母さんはそれに気付いたのか「忙しいって言って・・」と振り向きざまに言ったところで固まった。その目の前には、いとこにつままれて観念している『カナヘビ』が、微かに尻尾を揺らしながらそこにいたのだ。
 叔母さんの顔は微かに引きつっているようだ。いとこの方はというと、それとは対照的にうれしそうで誇らしげな顔をしている。そして、それを見ていた僕も少し笑っていた。
 その時だった。「・・な・何してるの!」という大きな声が、この場の雰囲気を吹き飛ばした。いとこは目を丸くして棒立ちになる。僕は「あちゃ〜っ!」と思いながらも、どうしていいのか分からず棒立ち状態。それと同時に、いとこの指はごくごく自然のそれで『カナヘビ』を解放していた。『カナヘビ』の方も、とうぜんのごとく解放されたことを喜び、そしてこの場の雰囲気を感じてか、とうぜんの行動に出る。それはまずいことである。非常にまずいことである。
 その事に気付いたのはまず叔母さんだった。それから、第三者的に見ていた僕。そして、周りのお客さん。最後に、そこで始めて状況を把握したいとこが気付く事になった。
 店の中は騒然となる。すぐさま捕獲に乗り出したのは僕たちふたりだけ。他の大人たちは手を出せないでいた。一生懸命捕まえようとするのだけど、一旦走り出した『カナヘビ』を捕まえるのは、子供には難しいことだった。
 僕たちは、後で叔母さんからこっぴどく怒られて、僕だけは更に母さんにまで怒られる羽目になった。僕はそれ以降、いとことは口を利かなかった。もちろん、翌朝までの話だが・・・。
 その夜、僕はぶすくれながら、窓辺に座って外を見ていた。そこへ一匹の蜻蛉が目の前に停まった。母さんは僕に、蜻蛉の寿命について教えてくれた。僕はその時、とてもかわいそうな生き物だと思ったのだった・・・

 そんな事を思い出しながら階段を登っていると、すぐにお寺の前まで来ていた。
 右手には、お寺を囲む塀がある。下は低い石垣になっていて、その上は土塀になっていた。その石垣と土塀のつなぎ目は段差になっていて、そこに細かい砂が敷き詰めてある。そこにはたくさんの蟻地獄がいることを、子供の頃から知っていた。
 僕は、子供の頃よくやっていたアレをやろうと塀に近づいた。『アレ』とはもちろん、蟻地獄取りのことだ。とは言っても、別に捕獲しようと思っているわけではない。ただ、子供の頃にやっていたことを、ちょっとやってみようというそれだけなのだが・・。
 僕は地面を見てきょろきょろと探し物をする。そして枯れた松の葉を手に取ると、その先で蟻地獄の巣をつつく。蟻地獄は、アリが落ちたと勘違いして砂をかき出しながら出て来る。
 そんな事を幾度か繰り返していると、目の前の土塀に一匹の蜻蛉がとまっている事に気が付いた。辺りは奇妙な薄暗い夕焼け色に染まっていて、その蜻蛉の色が正確には見て取る事が出来ない。しかし、昔見た蜻蛉と目の前にいる蜻蛉がだぶり、あの透けるような淡緑色が、僕の目の前で徐々に浮かび上がってきて、一種の感動のようなものを感じた。そしてそれと同時に、あの時母さんから教えてもらった蜻蛉の寿命のことを思い出していた。
 僕はその蜻蛉に見入っていた。きれいだ・・とてもきれいだ。そう感じれば感じるほど、この蜻蛉に対するわびしさやはかなさ、そして悲しさが何とも言えない複雑な感情として込み上げてくる。
 「どう?私ってきれいかしら」そんな声がどこからともなく聞こえてきた。
 僕はとっさに後ろを振り返り、辺りを見渡した。誰もいない。ただ、蜩が未だに合唱しているだけだ。
 「どうかしたの?」また声がする。僕はそ〜っと顔を戻した。
 「あら、いま話しかけたのは私よ。ここにいるのはあなたと私だけ。他には誰もいないわ」僕に話し掛けているのだろうこの蜻蛉はそう言った。僕はもう一度辺りを見回す。やはり誰もいない。そうしているとまた声がして、僕は慌てて蜻蛉に視線をもどす。
 「・・あなたもしかして、ここが現実だと思ってるんじゃない?ここはねぇ、現実とあなたの思い出の境目・・言い換えれば『非常識な世界』よ」
 「ヒ、ジョウシキ?」
 「そう、あなたは今、現実世界のごくごく自然な『常識』の中に存在してるわ。その一方で、あなたと私が会話をしているという常識から外れた『非常識』なことをしてるわけ。今のあなたは、確かに現実世界に存在してるし、あなたと私が会話をしている事も事実であって、これも現実と言えば現実なのよ。じゃぁどこが違うかって言うと、『常識』の範囲内で考えられることをしているかしていないかの違いね」僕は自分でも理解しているのかどうかすら分からないまま、ハァと返事をしてしまった。
 「よかった。じゃぁ本題に入りましょうか」
 「・・本題?」
 「そうよ。今話したのは、この会話がぜんぜん不思議ではないと言う説明をしただけ。そうしなかったら、あなたはそのまま『常識』の世界に完全に戻っちゃうでしょ。そうしたら私はあなたと話せなくなっちゃう。せっかくこういう場を与えられたんだから、記念として人間と話くらいしたいじゃない?」彼女は、僕のことなどお構いなしに話を進めてしまう。なんだかそわそわしているようにも感じた。
 「・・話ですか」僕はなんとなしにそう聞いた。
 「そうよ、話よ。それより早く本題に入りましょうよ。・・で、私を見てどう思った?」僕は突然のことで、どう答えて良いか分からず、口をもごもごさせてしまう。
 「どう思ったのよ!」彼女は捲くし立てるように言う。
 「どうって・・き・きれいだなぁって・・」僕は取り合えずで答える。彼女の視線が疑いの眼差しに変わっていくのを、僕は肌で感じた。
 「・・ほんとにぃ・・ほんとにそれだけぇ・・もっと他の事も感じなかった?正直に言いなさいよ」僕は彼女の誘導尋問にのせられてしまう。別に隠しているわけじゃないけど・・。
 「・・なんていうか・・1日しかその姿でいられないなんてかわいそうだなぁって・・」彼女は間髪いれずに話し出す。
 「やっぱりね!そうじゃないかと思った。・・なんでそう感じちゃうかなぁ・・まぁ、私の『寿命』が、あなたの『寿命』よりも短いからなんだろうけど・・なんでそれが悲しいわけ?別にあなたを攻めてるわけじゃないのよ。ただ、悲しまなければならない理由がわからないのよ」それは決まっているじゃないかと僕はとっさに言おうとした。けど、悲しまなければならない理由がわからないと言う彼女の言葉を聞いて、僕は少し戸惑った。『命』の価値基準を『寿命』というもので判断する理由は一体なんなのだろう。僕はその事に付いて考えたこともなかった。
 「じゃぁ質問を少し変えてみましょうか。・・もしあなたの身近にいる人が一日長く生きられたとしたら、あなたはその人に対して『よかった』と思うでしょ。じゃぁ、何がよかったのかしら?」
 「それは生きている事に価値があるからじゃないかな」
 「生きている事に?」
 「そうさ。生きているから色々な事が出来るわけだし・・・」僕は自信を持って答えるつもりだったが、なぜだかその自信が薄らいでいってしまう。
 「・・色々な事って・・じゃぁ、何をするとか、何が出来るとか何か解っていて生きているわけじゃないわけ?・・それってなんか変・・それで価値があるって本当に言えるのかしら?」僕は意味もなく腹が立ってきた。
 「な・何をするとか、何が出来るかなんていう難しいこと、解っている人の方が少ないんじゃないかな。・・そういう事を探すために生きているんだと僕は思うよ。・・それが生きることの価値なんじゃないかな」僕は自分の意見に我ながら上出来と満足していた。
 「あなたの言う事も解らないでもないけど、それって必ず答えが出るっていう事が前提での話よね。けど、それって解らないじゃない?答えが出るかどうかなんて。あなたはその事が難しいって言ったけど、別に難しいことじゃないじゃない。簡単なことよ」彼女はきっぱりとそう言った。
 「・・えっ!?」
 「例えば、あなたが子供のときにそんな事考えて生きてた?自分は何をしなくちゃいけないかとか、何が出来るんだろうなんて。子供のころのあなたは、多分そんなことなんか考えてなかったはずだわ。その日一日一日をただ一生懸命生きていただけじゃないかしら。子供の頃のあなたなりにね。そしてそれで満足して、充実していたと思うのよ。要はそれでいいんじゃないの?なのに物心つくようになって、余計な知恵なんかつけちゃったから、そんな変なこと考えるのよ。死期が迫って後悔するのは、その一生懸命がなかったからよ。そして、他人も自分と同じだろうなんて勝手に決めつけてるから、人の寿命の短さに哀れみなんか感じるのよ。ひとそれぞれに寿命の長さなんて違うのよ。与えられた分しか生きられない。それが100年だろうと1年だろうとあればあっただけ。その中でしか生きられないんだから、後はその与えられた期間をどう生きるかなのよね。若くして死んでいった人を想い悲しむのは勝手だけど、それはあくまでも、まわりの人たちが勝手な解釈をしているだけなのよ。あなたが私を見て思った様にね。私は間もなく死ぬわ。けど全然後悔してない。だって一生懸命生きてきたんだもの。だけどあなたは違うようね。かといって、別に悲観的にならなくてもいいかもね。あなたはそのことを知ったんだから、まわりの人たちが充実した人生を送れるよう、手助けできるんだから。そして、その事が『何をしなければならないのか』の答えになるかもしれないしね。・・なんだか少し乱暴な言い方しちゃったわね。ごめんなさいね」彼女は今まで溜まっていたものを吐き出すかのように、一気に話した。
 「別に謝らなくてもいいよ。あなたは何も悪いことをしていないんだから。あなたは僕よりもずっと、ずっと多く生きてきたんだから、それだけ自分の考え方に自信を持っているんだと思う。僕はそれがとてもうらやましいと思ったし、謝らなくちゃいけないのは僕のほうかもしれない。・・・ごめんなさい」僕はとても素直にそう言った。こんなに素直になれたのは初めてかもしれない。
 「・・そうねぇ、あなた達人間の感覚からすれば、私はおばあちゃんよねぇ」彼女はしんみりとそう言った。
 「・・べ・別にそういう意味じゃ・・」僕は慌てて取り繕うとしたが、上手く言葉が見つからない。
 「ふふっ、冗談よ。あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ。・・さぁ、時間ね。そろそろ最後のお仕事に行かなくちゃ」
 「・・最後の仕事?」
 「ええ、最後のお仕事。それが終われば、私の一生は完璧ね。どんな子が生まれるのかしら・・たのしみだわ。とは言っても、実際に見る事はできないんだけど・・・。そういう意味では、『死』って悲しいものね」彼女はそう言ってはいたが、別に落ち込んでいるというわけでもないようだった。
 「・・やっぱり悲しいものなんだ」僕は嫌味ではなく、ただ彼女の話を聞いていて、自然とそんな言葉がでた。
 「人生って理屈じゃないのよ。たぶんね」彼女はさらりとそう言った。僕はそんな彼女の話を聞いていて、一つの答えなどないのではないかと思えてきた。
 「じゃぁ、これでお別れね。最後にいい体験をさせてもらったわ。ありがとう」彼女はそう言って飛び立っていった。薄暗くなった空へ、すうっと溶け込むように消えていった。
 彼女を追った僕の目には、あのきれいな淡緑色が余韻のように映っている。ぼくはこれでいいのかもしれない、そう思いながら家路を辿った。

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