「・・・結婚しよう」

 僕はいつもより早い目覚めの中にいた。カーテンの隙間からほのかな朝焼けの光が差し込んでいて、部屋の中を薄明かりに照らしている。昔と違って程よく整頓されたこの部屋を見ていると、清々しいものだなと小さな幸せのようなものを感じる。みっちゃんと付き合い始めてから、自分が変わっていくのを感じるひと時でもあった。別に同居しているわけではないが、この部屋を見ていると、一人で生活しているという感覚があまりしない。ついこの間、二人でああだこうだといいながら、部屋の模様替えをした。自分以外の人間の意見を聞くことの新鮮さというものが、僕にとって大きなものだった。実際、この部屋の家具やインテリアの中には、彼女がコーディネートした物も2・3点ある。もちろん、自分の好みとは少し違う。女性的というわけではないが、女性が選んだ男性物と言った感じだ。それがなぜか、すうっと違和感なく溶け込んでいて、彼女自身がこの部屋に溶け込んでいるような錯覚さえ覚えてしまう。僕はそんな余韻に浸りながら、それがまるでみっちゃんであるかのように、掛け布団をぎゅっと抱きしめて、この気持ちをさりげなく表現した。
 ここは部屋の中とはいえ、まだ春先の空気はひんやりとしていた。
 「ひぇ〜っくしょん!」僕は大きなくしゃみをしてしまう。我に帰って、慌てて抱きしめていた掛け布団を掛け直す。布団の中はほんわりと温かくて、まるでみっちゃんと二人でいるようで心地よい。僕はまたうとうとと寝入ってしまった・・・・・。

 僕は時間が気になってどうしようもない。予定の時刻はとっくに過ぎている。みっちゃんはどうしているだろう。ふたりとも元気だろうか。女の子だろうとは聞いていたが、男の子であって欲しいという希望は捨てきれないでいた。
 そんな事を考えていると、仕事も手に付かない。男の子だろうか?女の子だろうか?さっきからその事ばかり考えている。そんな僕が、周りの人の目に、どう映っているかなど、考える余裕などなかった。仕事の方は、やるにはやっているが、その場凌ぎのやっつけ仕事になっている。翌日の仕事にひびくだろうとはわかってはいるが、どう頑張っても仕事が手につかないのだから仕方がない。いつになく失敗が目立ってしまったが、状況を知ってか、上司は何もいわないでいてくれている。ついさっきも失敗したばかりだが、「いいよ、いいよ・・」と怒る気にもなれないらしい。
 そうこうしているうちに病院から電話が来た。生まれたのは女の子だと言う。「本当ですか?」僕の声は変な調子で上擦っていた。電話を切ると、課長が「今日はもういいよ」と言ってくれた。僕は急いで病院へ向かい、受付で部屋の番号を聞くと、一目散にみっちゃんのもとへ急いだ。手にスリッパを握って・・・。
 「みっちゃん!」僕は部屋に入るなりそう言った。そこには一人背を向けるように横になっているみっちゃんがいるだけだった。
 「・・子供は?」僕は生まれたはずの赤ちゃんがいない事に気付いた。
 「・・いないわ・・死んじゃったの・・」そう言って振り返ったその人はみっちゃんではなかった。
 「・・す・すいません。間違えました」僕はそう言って部屋を出ようとした。
 「待って!・・待ってください。・・お願い、行かないで・・少しだけでいいからここに居て・・」彼女はそう言って僕の手を掴んだ。
 「ど・どうしたんですか?」僕は彼女の瞳を見て、尋常ではないと感じた。
 「私・・一生懸命がんばったの。勝彦さんとご両親のために・・けど赤ちゃんが死んじゃって・・そしたら私を置いてみんな帰っちゃって・・私がんばったのに・・何も悪いことしてないのに・・」彼女の瞳が次第に潤み始め、頬を伝った雫が枕に青いしみを作っていた。僕の腕を掴んでいた彼女の手に力が籠る。僕は傍にあった椅子に座り、たまたま持っていたハンカチで、彼女の涙を拭った。
 「そうですよ。あなたは何も悪いことをしていない。それどころか、自分の命を張って子供を生んだんじゃないですか。今回はたまたま恵まれなかったけど、それはあなたのせいじゃないですよ。それなのに・・・信じられない」僕は急にみっちゃんの事が心配になってきた。そして彼女もその事を察知してくれたようだった。
 「ありがとう・・ごめんなさいね、引き止めちゃって。ここに奥さんがいらっしゃるんでしょ。早く行って上げて下さい。きっとあなたの事を待ってらっしゃいますよ。そしてこれだけは忘れないでください。奥さんの事をお子さんと同じくらい大事にしてあげてください」彼女はそう言って僕に微笑みかけた。
 「す・すみません。お力になれなくて」僕はそう言って部屋を後にした。そしてみっちゃんの居る部屋の前に立つと、大きく深呼吸をして静かにドアをあけた。
 「ごめんね、遅くなっちゃって」そう言った僕に、みっちゃんは笑顔で迎えてくれた。元気そうなみっちゃんを見て、僕は胸をなでおろした・・・・・。

 僕は薄っすらと目を覚ました。なぜか涙を流している自分に気付く。遠くの方で玄関のチャイムが鳴っている。僕はみっちゃんと山へ蕗を取りに行く約束をしていたのだ。慌てて玄関を開けると、そこにはみっちゃんが立っていて、「こらっ!」といって小突く仕草をする。
 僕は思わず「みっちゃん・・」と呟いた。みっちゃんは「どうしたの?」といって微笑んでいる。
 僕はそんなみっちゃんを見つめていると、こう言わずにはいられなかった。
「・・・結婚しよう」

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