「小船になって」

 僕は雑木林の中で、初夏の心地よい風に吹かれていた。さらさらと揺れて、僕の上に乗っていたトンボは勢いよく飛んで行き、あっという間に空の彼方へと消えていった。目の前には川が流れていて、その川のさらさらと僕のさらさらが一つになって、とても心地がよい。
 僕は鳥や虫の歌声も好きだけど、やっぱり川の歌声が一番好きだ。川は一日中歌っていて、なんていうかその柔らかい響きに包まれているようですごく気持ちがよかった。
 そんな僕の前に、一人の青年が現れた。何処となく懐かしい眼差しで僕を見つめている。青年の手が僕の方へと伸びて、ぷちんと僕を取り上げた。とても懐かしんでいる思いが、その指先から感じられた。それがどういうものかは解らない。けど、それはとても温かくてほんわりとしていた。
 青年は指ではさむようにして、僕をゆっくりと撫でた。そこからは、今までに感じたことのない温もりのようなものが感じられた。それと同時に悲しみも・・・。
 僕は話し掛けると言うわけにも行かず、ただ青年の思いに身を任せていた。青年もそれを望んでいるように思えた。
 青年は、とても手際よく作業を進める。過去に何回もその作業をしていたのだろうと僕は思った。僕は、その中に過去の楽しい思い出が織り込まれていくようで、嬉しかった。
 出来上がり、青年は手の平に僕を乗せる。僕は小さな笹舟になった。青年は壊れそうなものでも扱うかのように、優しく僕を指先で揺らす。まるで子供と戯れてでもいるかのようで、優しい目をして微笑んでいた。きっと、過去には幸せな思い出がたくさんあったのだろう。きっと、この人はいい人に違いない。そして色々な事があって、今は昔とは違う。色々なものを見て、色々なものを聞いて、そして触れて・・・。苦しいことや辛い事があって、そして悲しくなって・・・。
 僕はこの青年のそんな思いを、この船の中にたくさん詰め込んだ。青年もようやく落ち着いたのか、この僕を川岸へ運ぶ。青年は僕を優しく摘み上げると、足元を気にしながらその手を川面へ伸ばす。僕は静かに青年の手から離れた。青年はそんな僕を心配そうに見つめ、間もなくしてその場を立ち去った。
 僕は大好きなこの川の上をすべるように流れていった。青年の思いを乗せて、青年がこの僕を思い出さないくらい遠くまで・・・。

がんばってね。そして・・・さようなら。

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